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新型コロナウィルス対応(2020年7月30日から)について

 

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●イベントレポート

 

   

 


 

●コラム

      「責 任 」

 

野球の試合、ノーアウト一塁、二塁。どうしても先制点がほしい。監督が代打を送り、確実にランナーを二塁、三塁に進めるためにバントを命じた。選手は、緊張のうちに慎重にバントを成功させた。試合後のインタビューで『責任を果たすことが出来ました』と安どの表情。

 

 『責任』とは、人があまり持ちたくないものだ。何か役割を引き受けることは、『責任を持ちます』ということ。重ければ重いほど、『持つ』ことがわずらわしくなる。快く持てる『責任』というものが、果たしてあるだろうか。

 私たちの人生、日常生活は『責任』に満ちている。

 子供・学生時代に『必要なことを学ぶ責任』、大人として『教え伝える責任』、夫婦として『支え合う責任』等、数え上げれば限りがない。それら総てを一言で言い換えれば、『人として命を受けた責任』がある…。

 個人として持つ『責任』とは別に、グループや社会として持つ『責任』がある。それは往々にして、自分のわがままが通用しない。

 『責任』は逃げれば逃げるほど、重くわずらわしくなる。果たして逃げ切ることなんて出来るだろうか。それとも『責任放棄』か。

 

 私たちから果たされる『責任』に問うてみたい。どのように持たれたら『責任』というあなたは、心地よさを感じてくれますか?

 持たれる『責任』の方から、『私という責任を持ってくれてありがとう』と、深く感謝されるそんな日々を送りたいものだ。

 『責任』は生きていて、私たち一人一人に必ず語りかけ、問いかけているはずだ。

 私たちは、自分の関わる『責任』に真剣に向き合い、『責任』を喜ばせたい。

            

                      主任司祭 ペトロ 杉原 寛信     

 

                                                  *過去のコラムはこちら

 


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